不思議と幸せ

小さな幸せ

立科にて・・・

 中山道(なかせんどう)は、江戸時代に整備された五街道の一つで、江戸(現在の東京)の日本橋から京都(三条大橋)までを内陸経由で結んだ街道です。全長約530kmにわたる道中には「中山道六十九次」と呼ばれる69の宿場町が設けられ、当時の旅の重要な交通路でした。東海道と異なり山間部を通り、峠越えの難所が多い一方で、多くの宿場町が残っており、江戸時代の面影を感じられる歴史的な街道として、今も多くの人々を魅了しています。

 

 私の住む佐久市にもいくつかの宿場町がありました。先日、「中山道・軽井沢から下諏訪の旅」という古いリーフレットに出会いました。

 そのなかの、小田井・岩村田・塩名田と八幡・望月が現在は佐久市となっています。次に芦田・長久保が紹介されていました。芦田村は、長野県北佐久郡にあった村で、江戸時代には中山道の宿場町がありました。昭和の大合併で消滅。現在の立科町の中心部から南端にかけての南北に長い地域にあたります。

 長久保は、立科町の北西部に位置し、小県郡長門町と接する地域です。立科町ではリンゴが栽培されており、「五輪久保林檎ジュース」という特産品があります。この「五輪久保」は、長久保地域を含む林檎の産地を指すようです。

 

 私はひょんなことから隣町の立科町へ行くことになり、その時に、芦田と長久保を知ったのです。

 立科町は、長野県中部に位置する北佐久郡の町で、茅野市との境に蓼科山が広がり、古くは「立科山」とも表記されたことから「立科町」となったということ。町は標高が高い南部の高原エリアと、人口の約9割が居住する北部の里エリアに分けられ、両エリアをつなぐ部分はくびれた形をしています。

 砂時計状の町土の北部には国道141号や254号、長野県道40号が通り市街地が形成されており、南部は茅野市白樺湖一帯と共に白樺リゾートを構成しています。中間部のくびれた部分は僅かな集落を残し、殆どが山林で、このくびれは、明治時代に芦田村が発足したときから存在するものであり、くびれの北側の集落が南側の土地を開拓したことによるものであるということです。 蓼科山白樺湖と女神湖が有名で、他のことはほとんど何もわからなかった自分ですが、今回、芦田と長久保について知ることになり、リーフレットより紹介です。

 

 芦田は昔、本陣1・脇本陣2・旅籠6(天保14)が備えられた宿場だった。町の中程に土屋家がある。この家が本陣兼問屋だったところで、諸大名の宿札がズラリと並べてある。また慶長・元和の建物だという庄屋跡、左側には、“つちや”と書かれた看板がさがる金丸土屋旅館がある。

 さて、町外れの左手に入る道を少しいったところに武田信玄川中島合戦の戦勝を祈願した津金寺がある。境内には、寛政年間の建立の仁王門・聖観音像が安置された観音堂・それに滋野氏の供養塔がある。

 中山道を先に進むと笠取峠の松並木に出会う。慶長7年に植えられたという松並木は、今も美しく旅情をさそう。松並木を過ぎ道はしだいに登り坂になり、頂上付近が一里塚。道は下り坂になり、急カーブが続き長久保へと向かう。

 

 私の住むふるさとは、佐久平というように、北に浅間山、東に荒船山八ヶ岳、南に蓼科山にかこまれた平野ですが、立科町蓼科山の麓の山林に囲まれた山あいの小さな町という感じです。隣町でありながら、ほとんど訪れることがなかったのですが、今回、訪れたときの幾つかの写真です・・・。

 

 

立科町の歴史を少し感じることが出来、ほとんど、出かけることがない自分にとって、新しい出会いでした・・・・。