不思議と幸せ

小さな幸せ

『浅間山と信濃追分と・・・』

 追分とは、道が二つに分かれる場所をさす言葉であり、甲州街道と青梅街道の分岐である新宿追分や、中山道と北国街道の分岐である信濃追分など、各地に地名として残っています。
 私が50代の頃の勤務地が軽井沢町追分にありました。信濃追分は、北は群馬県嬬恋村、西と南は御代田町、東は大字長倉に隣接し、浅間山南麓の地で、南部の中央部を湯川が南西に、御影用水が西に流れ、北陸新幹線しなの鉄道、国道18号が東西に走っています。
 その追分宿から信濃追分駅へ行く途中には、浅間モーターロッジと呼ばれた廃墟があり、その傍らの勤務でしたが、今では跡形もない懐かしい想い出です。
 

 
『木漏れ日と透明人間』
 
誰もいない
木漏れ日のなか
ひとつの人影が
足もとのどんぐりを
浮かびあがらせます
 
ふと 目にとまったのは
あかげら
悠然と どんぐりの幹を
餌を 啄ばみながら
上へ上へと
 
すると
チィ チィ チィー
サッと 風を切る音が
 
見あげると 今度は
紅葉した雑木林の
葉から葉影へと
青い痩せた小鳥たちが
飛び交っています
 
誰もいない やわらかな
木漏れ日のなか
雑木林は 風に揺れ
ぼくは
透明人間になりました
 
 
 
          <浅間モーターロッジ> <廃墟と恋人達>
 
 立原道造『萱草に寄す』(わすれぐさによす)より。
 
 はじめてのものに
 
ささやかな地異は そのかたみに
灰を降らした この村に ひとしきり
灰はかなしい追憶のように 音立てて
樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきった
 
その夜 月は明かったが 私はひとと
窓に凭れて語りあった(その窓からは山の姿が見えた)
部屋の隅々に 峡谷のように 光と
よくひびく笑い声が溢れていた
 
……人の心を知ることは……人の心とは……
私は そのひとが蛾を追う手つきを あれは蛾を
把へようとするのだろうか 何かいぶかしかった
 
いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
火の山の物語と……また幾夜さかは 果して夢に
その夜習ったエリーザベトの物語を織った
 
 そう、夭折の詩人・立原道造も、この追分の地で浅間山の噴火に遭遇していたのです・・・・。
 

 そして、私の故郷から見る浅間山です。
 

・子供の頃、浅間山を富士山だと思っていたことがあります。ともかく、山と言えば浅間山が目の前に浮ぶ故郷なのです。七年ほどの東京での一人暮らしから戻ってきた頃、次のように書いていた私です・・・・。
 
 コンポーズグリーンと、エメラルドグリーンに下腹部を蔽われ、コンポーズブルーに胸部は際だち、コバルトバイオレットに頭部は染まり、水色の空に浮かぶ巻層雲の下、もこもことした積雲が、ところどころに影をグレーに落している山並みである。が、抜ける大気圏へと、幾筋もの雲が、三百六十度の空を流れてゆく。高峰・浅間の山並が北側に、物見山・荒船山が東側に、続く八ヶ岳の山々・・・・、蓼科高原が南に下方のなだらかな山々を抱えている。遥か彼方は北アルプス
 心のなかの風景として眠っていたわたしのふるさとに迂回している上昇気流は、空を飛び交う鳥たちや、ポプラ並木や、あたり一面を透明なエネルギーに変え、放り投げられたわたしは、コンポーズグリーンの麓、透明な大気と共に・・・・。