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次第に訓練が重なって、第三の目の視力が開発されれば、手のひらをフィルターとして使用せずに、直接そのまま両眼を閉じて見ても、濃い緑色に輝く太陽を見ることができる。第三の目で見る太陽は、人間でいえば幽体、または霊体にあたる太陽のまことの姿だと筆者は信じている。
さらにしばらくのあいだ続けて両眼を閉じたまま見つめていると、濃い緑色に耀く太陽はぐるぐる回転をしながら、次第に小さくなってついには消えてしまう。それは脳の松果体の中にある舎利に、充電が完全にされたのちには、第三の目は閉じられ、太陽から放射されるエネルギーを拒否するためではないだろうか。いっぽう、体が非常に健康な人はいくら両眼を閉じて太陽を見ても、何にも見えない場合がある。これはすでに旧皮質に十分に充電がされているためであろう。
だからといって、太陽のエネルギーを受け入れるだけで、これをまったく使用しないとかえって疲れをおぼえるようになる。そればかりか、肝臓に種々の障害が起きる可能性が多いという事実を忘れてはならない。人間の体は、いつも均衡をたもっていなければならないのであり、エネルギーをあまり多く蓄積しすぎて使用しなければ、健康に大いなる障害が起こるという事実をくれぐれもわすれないようにしたいものである。
このような時には、手のひらを下にして<アウム振動>を起せば、エネルギーは再び体の外に放射されてしまう。この時、手のひらから何か微風みたいなものが出るのを感じることができるのである。
<ヨガ>の哲学では、人間の体には七個の<チャクラ>があり、背骨の一番下に位置している<クンダリニ>の霊火を起させ、七個の<チャクラ>に順番に火をつけながら、一番上のチャクラまで目覚めさせることができれば超人になるという。しかし、筆者の考えによれば、両手の掌心も重要な<チャクラ>である。この<チャクラ>を開発すれば、不可視の太陽エネルギーを掌心を通して吸収し、脳の旧皮質の退化した部分をすばらしく開発できると思う。
なぜなれば、筆者自身も何年か前まではごく平凡な人間であった。そのうえ人いちばい病弱であったのに、これまで述べてきたような方法によって、想像もできなかった種々の超能力(神通力)を開発して身につけたのが事実であり、毎日のように筆者を訪ねてくる多くの人々に、大きな助力を与えているのである。そればかりか、筆者の助力を受けて、超能力者として変身した人々も多いのも事実である。
仙人は、厳格な禁欲生活を通してたくわえた生命力を利用して、脳を開発したのであり、それが今日のヨガと密教の形で伝えられているわけであるが、これは普通の人々にはあまりにも大きな犠牲を要求することなので、ほとんど不可能に属する修行方法であろう。第一、あまりにも時間がかかりすぎるし、今日の公害に充ちている周囲の環境の中で、ただ呼吸法によって大気の中に散在しているプラナを吸収することは、あまりにも至難のわざと思われるからである。
だからといってヨガとか密教の修練が必要でないというのでは勿論ない。人それぞれの因縁によっては、かえって在来の方法がよい結果をもたらすのも事実である。しかしこれだけは確かだと思う。在来の方法は長い時間と、私たち平凡人の生活ではほとんど不可能に近い修行を通じてだけ達成される修行方法であるゆえに、一般性はないという点である。
だから、筆者が発見した太陽光線を利用して、六ヵ月から約一年かかって<第三の目>を完全に作用させるように開発すれば、下に向かって次第にチャクラを目覚めさせることが可能なのである。
いっぽう両手の手のひらの掌心から太陽のエネルギーを吸収しながら、口からは<アウム振動>を起して体の中の気を、経絡を通じて循環させる特殊な気循環運動を毎日くり返すようになると、体の中にそれまでたまっていた老廃物がこの時に起こる電磁波振動によって燃焼気化し、手のひら、足裏から排泄することが可能な体質に変わるのです。
昔の神仙道の秘法を見ると、一切の火を加えた食物を廃止し、生食だけを取り、最後には宇宙に充満している気だけで身を養うようになれば、生きているうちに次第に肉体の比重は少なくなり、エネルギー体である幽体自体が、普通の肉体と同じく目に見える存在に変わるといわれている。
つまるところ、生きているうちに、死んだのちに持つようになる幽体自体を、濃密な肉体と同じ形態に変えた仙人たちは、あらかじめ死んだのと同じなのである。従って生きているけれども死んだのと同じ状態であり、死んでしまったけれども永遠に生きている状態に定着してしまったといえるのでは。
・続きは次回に・・・・。